『ポケモンGO』の開発を手掛けAR分野のパイオニア企業であるナイアンティック社の最高経営責任者兼創業者であるジョン・ハンケは、最近注目が高まっている「メタバース(ユーザー同士が娯楽、ゲーム、ショッピング、社会活動を通じて交流できるオンライン上の仮想空間)」について「ディストピア(絶望的な世界)の悪夢」だとする考えを明らかにしている。
ジョン・ハンケはナイアンティック社の英語版公式サイトで公開された長文のブログ記事のなかで「メタバース」に関する自らの考えを明らかにしている。「メタバース」という言葉はアメリカのSF作家ニール・スティーヴンスンが1992年に発表した小説『スノウ・クラッシュ』のなかで初めて登場している。ジョン・ハンケは「メタバース」という概念は「技術的にクールなコンセプト」であると述べ、ニール・スティーヴンスンやアメリカのSF作家ウィリアム・ギブソンの作品を評価する一方で、人々がこれらの本のメッセージを見逃してしまっているのではないかと警鐘を鳴らしている。
「これらの小説はテクノロジーが間違った方向に発展したディストピア的な未来に対する警告としての役割を果たしてきました」とジョン・ハンケは綴っている。
ナイアンティック社は現実の世界と仮想上の世界の境界を取り払う拡張現実ゲーム・テクノロジー業界の先駆的な企業の1社とされるため、ジョン・ハンケが明らかにした立場は意外に思えるかもしれない。同社は『ポケモンGO』が爆発的な人気を集める前に、自社のオリジナルSFゲーム『イングレス』で位置情報ゲームの開発元としての地位を既に確立していた。同社は『イングレス』の配信に先立ち、「身の回りのクールなもの、隠されたもの、ユニークなもの」を探索する位置情報アプリ「フィールド・トリップ」をリリースしていた。
今回、ジョン・ハンケはヴァーチャル空間が現実の世界に根ざしたものになる未来像を構想していることを明らかにしており、さらにこの空間を「現実世界のメタバース」と呼ぶことを提唱している。彼は「現実世界のメタバース」を「より良い現実のことです。そこは、データ、情報、サービス、そしてインタラクティヴな創造物で満たされています」と説明している。
ジョン・ハンケは人々が仮想空間上で束の間の交流だけを行うサイバー・スペースに没入してしまう状態に陥ることを懸念し、「拡張現実を通じて”現実”に触れられるように、テクノロジーを活用していきたいと考えています。私たち全員が地に足をつけて外で歩き、周りの人々や世界と繋がれるように支援していきたいです」と述べている。また、「テクノロジーはこうした人間の本質的な体験をより良くするために使われるべきであり、この体験に取って代わるべきではありません」と続けている。
ジョン・ハンケはこの仮説的な「現実世界のメタバース」の実現に向けた問題点として、主に次の2点を指摘している。1点目は「世界中の何十億人ものユーザーのステータス(および、ユーザーが接する仮想的なオブジェクト)」を同期させること、2点目は「ユーザーと仮想的なオブジェクトを物理的な世界に正確に結びつけること」である。
ナイアンティック社のAR開発キット「ライトシップ」は同社が提供する大半のAndroidやiOS向けソフトウェアの土台となっている。「ライトシップ」は「ステータスが共有される」状態を作り出しており、上記の問題点の1つは既に解決されている。これにより、すべてのユーザーは「世界中で同じ改善が適用されるのを確認する」ことができ、変更があればそれを視覚的に確認することができる。
しかし、改善や変更を現実の世界に応用させていくには困難が生じている。ジョン・ハンケはこの困難の解消には「人間のためではなく、コンピューターのために設計された……新しい地図のようなものが必要」であり、「携帯電話やヘッドセットが世界中のどこにあってもユーザーの位置や方向を極めて正確に認識できるような、これまでにないレベルの詳細な情報」を把握することが求められると述べている。
ジョン・ハンケはアメリカの半導体大手クアルコム社との提携について言及し、ウェアラブル・デバイスが彼自身の「現実世界のメタバース」のビジョンを実現させる可能性があると述べている。「ナイアンティック社の地図を使ってユーザーの位置情報を把握し、物理的な世界に情報や仮想世界をレンダリング(表示)することができる屋外対応のARメガネの『リファレンスデザイン(製造業者が応用製品の開発業者に提供する設計図)』」に共同で取り組んでいると明かしている。
さらに、彼はゲームをプレイすることと社会的な交流の面でも恩恵があるとし、将来的に『ポケモンGO』では「ポケモンが近所の公園を歩き回り、世界に実際に生息しているかのように見えるかもしれません……通り過ぎる歩行者の周りを小走りで駆け回ったり、公園のベンチの後ろに隠れていたり、群れをなして徘徊したりする」かもしれないと述べている。ジョン・ハンケはゲーム以外にも、娯楽、教育、指示/説明、アシスタント(支援)など、「製品を組み立てる工場や建設現場から、極めて複雑な知的作業」でARメガネが使用されることを構想しているという。
しかし、ジョン・ハンケの今回の提案は遅すぎたとする見方もある。完全な「メタバース」の実現は既に着実に進行しており、これにはゲーム業界以外の大手企業も注目している。音楽業界は「メタバース」に既に関与しており、最近ではアリアナ・グランデのコンサートが『フォートナイト』で開催されている。また、VRヘッドセットの「オキュラス・クエスト」をはじめとしたプラットフォームを活用することで、リモートでの交流や、バーチャル空間で誰かと一緒に映画鑑賞をするような社交も可能となっている。
また、ナイアンティック社は『ポケモンGO』に適用された変更点を元に戻す計画を立てており、これにはプレイヤーから苦情が寄せられている。新型コロナウイルスの影響を受けてのロックダウン期間中でも同作をプレイできるように、ゲーム内ではプレイヤーが現実世界のオブジェクトと触れ合う距離を十分に確保するなどの変更が適用されているが、先日一部の国では感染拡大前の状態に戻す変更が適用されている。
この変更は、今回ジョン・ハンケがブログ記事で明らかにした屋外でのプレイにプレイヤーを呼び戻すための一環であると見られているが、プレイヤーの間では懸念の声が広がっている。『ポケモンGO』のコミュニティは、ナイアンティック社がソーシャル・ディスタンスの距離を確保したことで、ゲームがより安全になっただけでなく、障害者や社会的弱者のプレイヤーがよりプレイしやすくなったことを無視しているとし、プレイヤーの懸念に対する同社の対応を「ひどく不適切」であるとしている。
ジョン・ハンケは「現実世界のメタバース」の構想について、「個人向けのパソコン、インターネット、携帯電話などの開発の初期段階と同じくらい重大な情報処理技術の変化の1つになる」と述べ、「世界中の大企業、スタートアップ企業、個人の取り組みがあってこそ実現する大きな発展」になると続けているが、ナイアンティック社がターゲットとしているユーザーが結局は「メタバース」を選ぶのかについては今後明らかになるものと見られる。
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